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Gallery Jin News
Febuary 2008
播磨みどり
Harima Midori

Works 2001-2007

2008 年2月7日発行
Gallery Jin Projects ニュースレター
テキスト :大谷 省吾
English


作家名 播磨みどり

●画像
●大谷省吾「このパンフレットを見てはいけない」
●作家コメント

"無題"部分
(少女・壁面ドローイング)
2001年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、パステルによる壁面ドローイング
150×65×35cm(立体)
110×90cm(ドローイング)
2001年個展”無題”T.L.A.P 時限美術計画(東京)
個人蔵
 

写真:Nick McDonell

"Biginingless story"部分(トラ)
2002年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、舞台
365×243×243cm
2002年"The Bay Area Award Show 2002" New Langton Arts (U.S.A/San Francisco)
個人蔵/作家蔵
 
写真:Nick McDonell

 

"Untitled"
2003年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、木綿糸
45×20.3×15cm
2003年 "Revealing Influences" Museum of Claft & Folk Art (U.S.A/San Francisco)
個人蔵
 
写真:柳場 大
"Untitled"
2003年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、木綿糸
25.4×45×22.8cm
2003年 "Revealing Influences" Museum of Claft & Folk Art (U.S.A/San Francisco)
個人蔵
 
写真:柳場 大
"Listen"
2003年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土
18×13×16.5cm
2003年"Winter Session 2003" Gallery Jin(東京)
個人蔵
 
写真:柳場 大
"輪郭で語られる物語"部分(少女)
2003年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、木綿糸
142×43×33cm
2004年 "Transparent Story" Kala Art Institute(U.S.A/Berlelry,CA)
個人蔵
 
写真:柳場 大
"鏡像の立体"
2005年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土、鏡、スタンド
立体のみ
左:w92.5×d45.5×h12cm
右:w92.5×d45.5×h13.8cm
鏡:w227×d45.5×h116.5cm
2005年”縫合” Gallery Jin (東京) 、2006年"The Childー内なるこどもー" 豊田市美術館(愛知)
個人蔵
 
写真:柳場 大
"叫びと笑いはよく似ている"
2007年
透明プラスチックシート、布、イヤホン、サウンド(叫び:ホラー映画よりサンプリング・編集、笑い:公園で遊ぶ子供の声のサンプリング・編集) タイトル引用:岡崎京子 へルタースケルター
119×180×55 cm
タイトル引用 岡赴梹q へルタースケルター
2007年"Five artists from New York 2007" Egon Schiele Centrum (チェコ共和国/Cesky Krurmlov)
作家蔵
 
写真:Nick McDonell
"Untitled"(3匹の子鹿)
2007年
紙、紙に白黒コピー、テープ、のり、紙粘土
58×11×71 cm
2007年 "Midori Harima" Kevin Bruk Gallery (U.S.A./Miami)

個人蔵

写真 : Mariano C Peuser

このパンフレットを見てはいけない

 いま私は、この文章を書くにあたって、ひじょうに複雑な気持ちでいます。彼女の作品を、その最初の個展から見続けてきた者として、私はひとりでも多くの人に彼女を知ってもらいたいと願っています。その意味ではこうしたパンフレットの刊行は嬉しい……はずなのですが、その反面、このパンフレットを通して彼女の作品をはじめて知る人が、彼女のことを誤解するのではないか、という危惧を覚えずにはいられないのです。というのも、彼女の作品は表面上、暴力と死と狂気に満ちているように見えるからです。しかし、彼女の作品の本質は、そうした見かけ上のモティーフとは別のところにあります。そして、それを理解するためには、図版を通してではなく、実際に作品に向き合うことが絶対的に必要なのです。「このパンフレットを見てはいけない」というのは、そのような意味においての呼びかけです。だからお願いです。このパンフレットを見てしまった方は、必ず、彼女の作品を実際にも見てください。このパンフレットだけで、早合点しないでください。
 それでは、彼女の作品を図版で見ることと実際に見ることとの間には、どのような違いがあるのか、考えてみましょう。彼女は、本や雑誌、インターネットなどのマスメディアから見出した既製のイメージを白黒コピーにして、それを張子状の立体に組み立てて作品化します。粗い画質の白黒コピーという、ノイズを伴うイメージが、危うくも現実の空間に立ち上がり、見る者の前に立ちふさがります。非実体的であるはずのイメージが実体化される、あるいはフィクショナルなものとリアルなものとが攪乱される、その強烈な存在の違和感。この違和感ばかりは、印刷物では決して体験できないのです。
 この強烈な存在の違和感をいやがうえにも高めるのが、扱われているモティーフです。さきほど、彼女の作品は表面上、暴力と死と狂気に満ちているように見えると書きましたが、それは彼女が暴力や死や狂気そのものをテーマとしたいからではなくて、暴力や死や狂気ほど、マスメディア上で漂う表層的なイメージと、その実質との間に大きな隔たりをもつものがないからなのではないでしょうか。作品の表面にしばしば無数の傷がつけられているのも、一見きわめて暴力的のようですが、これも非実体的なイメージに実体性を与えるための、必然的な操作とみるべきです。
 今日、私たちはメディアを通した視覚情報の氾濫の中で、この世界の実体をリアルに感じることができなくなっているといえるでしょう。彼女の制作は、この絶望の地平から始まっているようにみえます。そして、そうした認識の可能性と不可能性をめぐる模索の中で彼女が考案したのが、白黒コピーという複写されたイメージを現実の空間に立ち上げるという手法でした。この手法から生み出される、存在の違和感。このざらついた違和感にとどまり続けること。この感触を忘れないこと。それによって彼女は、ぎりぎりのところでリアルな何物かに触れることに成功しているように思います。
 近年の彼女の作品に導入された、鏡や半透明のヴェールといった素材もまた、私たちの知覚をさまざまに揺さぶり、惑わし、挑発します。今回の個展で新たに発表されるインスタレーションでは、半透明のヴェールは私たちの視線にどのように作用するでしょうか。輪を描くように群れるコヨーテの群れ。彼らの視線の集まる輪の中心には何もありません。私たちはその彼らをヴェール越しにしか見つめることができず、はっきり見ることができないことに軽い苛立ちを覚えながら、次第にコヨーテが、ヴェールが、そして虚ろな中心が何を意味しているかについて、思いを巡らせることになるでしょう。でも、ここで絵解きめいた解説をしてしまってはつまりません。それよりも、もうパンフレットは閉じて、作品の前に立ってみましょう。そして、そこでわき起こる自分自身の知覚のざわめきに、耳をすませてみることにしましょう。
大谷省吾(東京国立近代美術館主任研究員)

 

 

●作家コメント

情報化社会での日常的な目の経験が私の制作のベースとなっている。
作品は不在、分離、断絶といった関係性の喪失から作られている。それは主体や対象についての言及ではなく、関係とそれが行われる場についての試みである。

 軽く薄いものを、質的、量的、意味的に重くすることによって厚みを出すのではなく、時間的に、点在し積み重ならない形で引き伸ばすことができるか。そのようにして対象と関係することが可能であるかということを考えて制作している。

(播磨みどり)

 

 

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